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◆  歌舞  ◆  真名璃編 02


 空には太陽が中天に達していた。
 お昼だ。
「さあ、真名璃は歌のお稽古があるだろう? 頑張っておいで」
「兄さまは?」
「兄さまも歌のお稽古だよ」
「なんだ。・・・じゃあ、一緒の場所でやればいいのに」
「ほらほら、そんな無理は言わないで、ね? 先生にご迷惑をお掛けしないようにね」
「わかってるわ」
「それじゃあ、遅れないように、もう行っておいで」
「・・・もう少しだけ、ここに居る」
 しがみ付いて抵抗した。
 だって、離れたくない。
 今離れれば、夜宴の途中で兄さまが会いに来てくれるまで、会えなくなるのだ。
 それがわかっていて、どうして簡単に離れることができよう。
 この優しい温もりを、もう少しだけ一人占めしていたかった。
「真名璃。駄目だよ、そんな事言うと、兄さまは今夜会いに行ってあげられなくなるかもしれないよ」
「えっ」
「兄さまはね、今から皇帝様に昨日のお詫びと今夜のことを、お伝えしに行くつもりなんだから」
「そう、なの・・・」
 酷く残念だ。
「じゃあね・・・、今夜会いに来てね・・・待ってるから」
 兄さまは苦笑してわたくしを見た。 
 それじゃあ、まるで恋人同士のようだね、とこっそり耳元で囁いた後、
「頑張っておいで。真名璃の歌が綺麗なのは兄さまが知ってるからね」
 と釘を刺すように言って抱きしめた。
 兄さまの、陽だまりみたいな匂いがした。


 わたくしは子供だけど、わたくし達が歌う歌は、皆大人の歌だった。
 恋に愛に喜びに涙。出会いに別れに悲しみに耐え忍ぶ日々。
 子供と大人とでは、認識が違うものが揃いも揃って歌にある。
 わたくし達子供は、精一杯大人の振りをして、大人に負けないように声を出す。
 男の子も女の子も、高い澄んだ声が出る。


   好きだと言えば 何か変わるの?

   愛して欲しいと言えば 本当にそうなると言うの?

   ならば歌う あなたの為に

   でも 私は それを信じない  だって そんなに 簡単なことじゃないでしょう?

   だから閉ざす この胸を

   この瞳を この口を この体を

   あまりに無関心なあなたに しまいには心も塞ぎたくなる

   でも

   でも それでも

   耳だけは 澄ませていよう

   あなたの声が 聞きたいから

   いつか あなたが 愛を 囁く声を 聞き逃さないように ・・・

 

 歌詞はわたくしから見ても、よくわからない。
 でも大人はこれが素敵な恋の話だと言う。
 このままじゃ、わたくしは、いつまで経っても大人になれないような気がする。
 なのに、言葉だけはわたくしの中に入っていて。
 時々兄さまに酷く大人っぽいことを言うようになったと驚かれる。
 わたくしは、大人の言葉しか知らないのに。
 兄さまは、この頃わたくしの事なんか、どうでもいいと思っているのかしら?
 "あまりに無関心なあなたに しまいには心も塞ぎたくなる"
 ここだけは少しだけ、わかる気がする・・・。
 だって、兄さま、前みたいにわたくしの事、見てくれなくなった。
 他の、誰を見ているの?
 歌を歌う事が、そんなに大変なの?

 どうして、わたくしには、何も言ってくれないの・・・?

 恋すれば人はそれだけで大人になるという。
 恋さえすれば、少年は”男”に、少女は”女”に・・・なるという。
 わたくしは、最近の兄さまを見て、男という存在を、微かに感じ取る・・・。

 夜。
 初春だというのに、この冷え込みよう。
 だけど、わたくしは兄さまに会えるという期待があったゆえか、頬が熱いほどあった。
 しんと澄んだ空気。
 物音ひとつしそうにないたくさんの部屋。
 だけどわたくしは知っている。
 皇帝さま近くのお部屋で毎夜のように開かれている華やかな宴を。
 兄さまは毎夜、ご所望がある。
 素晴らしい、天からの授かりものと例えられるに至った兄さまの歌声を、一度でも聞こうと来る人がたくさんいるのだそうだ。
 わたくしはまだ、そんなに大勢の人がいる席には出た事がない。
 わたくしがそんな所で歌うなんて事、想像もできない。
 でも。見たこともない宴だけど、その姿は簡単に想像できるのだ。
 兄さまが教えてくれた料理に、踊り子。幻に包まれたような明るい場。
 華やかな衣装に、珍しい贈り物。
 夢のような所だと兄さまは言った。あんな所がこの世にあるなんて、とても思えないと言った。
 美しい女人が何人もいて、華麗なお酒を振舞っては舞うように行き来する。
 天女かと思うほどだと言った。
 あそこは現世の天の国なのだ、とも。
 そして、そこには必ず兄さまの姿があるのだ。
 兄さまは地味にも華美にもならない程度の美しい光沢の緑の衣装を着ていて、座の真中に立って、高らかにその声を披露するのだ。
 一番の賛美。
 一番の褒美。
 一番の、笑顔。
 わたくしは兄さまを思い浮かべた。
 優しい面差しも、暖かい手も。人に愛される声も表情も、目を引く後ろ姿も、全部皆。
 兄さまに、会いたい・・・。

 そんなことを考えていると、気づかぬ内に忍び寄っていた睡魔にしてやられた。

 かたん。
「真名璃・・・。真名璃・・・?」
 兄さまの・・・声。
「眠っているのかい・・・? 真名璃・・・?」
 そうっと入ってくる兄さまの気配。微かに畳を擦る兄さまの足音。
「ああ、真名璃・・・。本当に眠ってしまったんだね・・・」
 少し残念そうな声。思わず笑みが浮かんでくる。
「あっ、真名璃っ! 起きてるんじゃないか」
 笑みに気づいたらしい兄さまが、潜めた声の中、呆れたように息を吐く。
「ほぉら。目を開けて、真名璃。兄さま折角会いに来てあげたのに、あんなに会いに来てと言った真名璃が寝た振りをするなんて・・・」
 手が、髪を梳く。
 心地良い感覚に、声が漏れた。
「ふふっ。兄さま」
「会いにきたよ、真名璃。約束したからね」
「兄さま大好きっ。会いたかったの、ずっと我慢してたのっ」
「寝たふりはわざと?」
「だって・・・兄さま来るのが遅いんですもの」
「そう言ったじゃないか」
「遅い兄さまが悪いんですものっ」
 そう言ってお気に入りの兄さまの首にしがみつくと、兄さまは腰を下ろして抱き上げてくれた。
「真名璃には敵わないよ・・・」
「わたくしだって、兄さまには敵ったこと、ないのよ?」
 兄さまは可笑しそうにゆっくりと笑って見せた。
 綺麗な緑色の衣装。深い湖の奥底のような青が混じっている。
 散らされた金と銀の文様。
 一目で、高級な物とわかるそれ。
「兄さま・・・綺麗」
「そうかい? 今日初めて着るんだ、この衣装」
「すごく、綺麗」
「ありがとう、真名璃。真名璃だって、もうすぐすれば、こんなの着なくてもずっと綺麗になるよ」
「違うもの。そういう意味じゃないもの」
 拗ねた振りをして、横を向く。
「真名璃?」
「綺麗綺麗綺麗なのっ」
「こらこら、真名璃・・・っ」
 楽しそうな声と可笑しそうな声が混ざり合っては、ひとつの波となり、辺りを包んでいった。

 わたくしは綺麗な兄さまを見て、酷く興奮してしまったよう。
 だって、兄さまは夢のように綺麗だった。
 すっかり参ってしまったの。
 だって、素敵。
 そして、とっても綺麗。
 綺麗で綺麗で堪らないの!! 兄さまは綺麗っ!! 誰よりも!!
 兄さまは、笑っている。
 だから、わたくしも・・・笑ってしまう。
 兄さまは、誰よりも優しくて綺麗だから。
「ねえ、兄さま。ここで舞って見せて」
 おねだりしてしまう。兄さまの前じゃ、欲望なんか、到底抑えられない物。
「真名璃・・・。兄さまは白拍子じゃないんだよ・・・?」
 困ったように甘く微笑む兄さま。
 でも知ってる。兄さまは舞えないと言いながら、見よう見真似で舞って見せるのだ。
「知ってるのよ、わたくしだって。兄さまが先の宴で皇帝さまにお願いされて、即席で舞って見せた事があるんだってこと」
 困った顔が驚いて、また、困ったように眉根を寄せた。
「そんなことまで・・・。真名璃。いったいどこからそんな話聞くの、誰からだい?」
 心底呆れた兄さまの言葉。でも、少し嗜めようとしている口調が可笑しい。
 これで兄さまが舞を舞ってくれることは、決まったも同然。
「ねえ、舞って。舞ってよ、兄さま」
「こら、真名璃。兄さまの問に答えてないじゃないか」
「兄さまが舞ってくれたら教えてあげる!」
 とびきり楽しい気分だった。
 兄さまは、しょうがないね、と言いながら静かに立った。




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