| 
       ◆  歌舞  ◆  真名璃(まなり)編 01 
 
 
 指先に宿るのは誰の熱? 
 声が、出ないと泣いた所為か、どうにも鬱陶しく感じられるそれに、どうにか仕返しをしてやりたい。 
 だって、ずるい。ずるいずるいずるい。 
 兄さまは、いつも声が綺麗と誉められて、指が細くて綺麗と誉められるのに。 
 わたくしは、小さいけど女の子なのに。綺麗も、上手もない。誉められるのは、綺麗なお兄さんね、とばかり。 
 兄さまの影響で、歌好きになった母さまの言い付けで、わたくしは歌を習い始めた。 
 でも、嫌よ。きらい。歌なんて。 
 だって、歌っても兄さまのように、綺麗ね上手ねと誉められないもの。 
 ただ、可愛らしいねとか、小さいのにお上手ねとか、子供相手のお世辞だけ。兄さまの妹だからというだけの理由で与えられる何の意味もない空言葉。 
 兄さまのように誰にも負けない賛辞が欲しいだなんて、言いやしないのに。 
 わたくしは、わたくしの好きにしたいだけなのに。 
 皇帝さまが好きな父さまは、わたくしの事なんてどうでもいいと思っている。むしろ、歌が気にいってもらえたら・・・なんて事ばかり考えてる。わたくし知っているのよ。聞こえてるんだから。 
 兄さまに言っても、仕方がないよ、我慢おし、と頭を撫でられるだけ。 
 優しい声に、優しい笑顔。大好きだけど、そういう時は大嫌い。 
 だって、ずるいんですもの。そんな顔されたら、泣き続けられなくなるんだから。 
 兄さまは全部知っていて、やるんだもの。だから、大嫌い。 
 母さまは、兄さまを産んだことが誇りになったと毎日のようにお喋り。何回言っても、何人に言っても、飽きもせずに繰り返す。お喋り人形みたいだって、教えてあげようかしら。 
       じん、と痺れる痛みと、気だるい熱を孕んだ細い細い、兄さまの指先。 
 昨夜、お歌のお披露目があると言っていたのに、わたくしが行っては嫌、歌わないでと癇癪を起こした所為で、兄さま、行かなかったのかしら? いいえ、そんな事ない。だって、兄さまは皇帝さまのお気に入りなんですもの。 
 皇帝さまがきっと、連れて行ったに違いないわ。 
 わたくしは酷く泣いて、疲れて眠ってしまったのね。守るように抱いてくれている兄さまが少し哀れ。 
 いくら優しくしてくれたって、通じないのに。 
 いつか通じると信じている優しいだけの兄さまが、少し、憎い。 
 所詮、わたくしは駄目なの。そんな事わかってた。兄さまだけが、そんなことないよって慰めてくれるけど、わたくしにもわかる事が、兄さまにわからないはず、ないもの。 
 嘘つきね、兄さま。 
 優しいだけで、優しくするだけでいいと思っている、愚かな兄さま。 
 子供だったわたくしは、否、子供であってもわたくしは、偽りなど欲しくなかったのに。 
 それを知らぬ、兄さまではなかった癖に。 
 わかっていて優しいぬるま湯に、わたくしを漬け込もうとしているのね。 
 本当、嫌な人・・・。 
 優しくて、でも、優しさで全てを駄目にする人ね、兄さまは。 
       最後に泣いて掴んだと思った指は、逆に掴まれていた。 
       
 熱い。痛い。苦しい。 
 嘘よ、こんなの。兄さまの指が、痛いだなんて。 
 兄さまは、こんなに力のある人だった? 
 違うわ、弱々しい儚い人だったはず。 
 男と女の違い? 大人と子供の違い? 
 兄さまとの違いを見つける度に、疼くこの胸は一体なんなのかしら? 
 自分でもわかっているくせに。 
 兄さまと、わたくしの違いを。 
 父さまと母さまが同じ。髪の色が同じ。瞳の色が同じ。顔立ちが、少しだけ同じ。 
 違いの方が多いことくらい、当の昔に気づいていたくせに。 
 探すだけ無駄な、相似。 
 探す間もなく、溢れてくる、在り過ぎるほどの、違い。 
 わたくしは、・・・悔しい。 
 違いを見つける度に、違う人間だと思い知る。 
 優しくしてくれるのは何故? 
 『妹』だから? 
 『女』だから? 
 それとも、ただの、『子供』、だから・・・? 
 痺れる指に、涙がせり上がってくる。 
 つぷつぷと。 
 盛り上がってくるそれは・・・その内溢れ出していくだろう。きっと。 
 兄さまの指。 
 兄さまの力。 
 ・・・痛いのは、指かしら、胸かしら・・・? 
 そっと、悔しさのままに兄さまの指先を、噛んだ。 
 がり。 
「・・・っ!!」 
 兄さまは驚いたような、痛そうな顔で目を開けた。 
 わたくしの方を見ると、ほっとしたように力を抜きながら笑った。 
「・・・痛いよ、真名璃。離してくれないかな?」 
 わたくしは獣みたいに唸った。 
 嫌よ、嫌。離してたまるものですか。 
「ああいたた・・・。真名璃。兄さまの指が、食いちぎれてしまっても、いいのかい・・・?」 
 兄さまは本当に痛そうに顔をしかめて、でも目には笑いを滲ませて言う。 
「離してくれないのかい・・・?」 
 弱りきった顔をされてしまっては離すほかない。 
 だから、兄さまはずるいのだ。 
「兄さまの馬鹿っ!! 兄さまなんか、大っ嫌いなんだからっ!!」 
「いたた・・・。ごめんよ、真名璃。でも、どうしてそんなに怒っているんだい? 兄さまはここに居たじゃないか」 
 痛そうに噛み跡の残る人差し指を振って、兄さまはそんな事を言う。 
「嘘つき嘘つき嘘つきっ!! わたくし知ってるんだからっ!! 兄さまが昨日、宴にお出になったの、知ってるんだからっ!!」 
 だって、わかるもの。兄さまは、いつも同じ嘘を付くから。 
「そんなことないよ・・・。昨日は真名璃が離してくれなかっただろう? だから、一緒に寝たじゃないか」 
 困りきった顔。 
 そんな顔で嘘付く兄さま。 
 宮廷に来てからできた、新しい兄さまの顔。 
「嘘つきっ!! 皇帝さまに呼ばれたわっ!! 宴に絶対に来いと言われたわっ!! わたくし、ちゃんと聞いていたんだからっ!! 知ってるのよ!!」 
 兄さまがわたくしよりも皇帝さまを大事だって事も、知ってるんだから・・・!! 
 赤い怒りに身を任せるように、兄さまに向かって文句を投げつける。わたくし、嘘は嫌いなんだから。 
「だから・・・。真名璃。昨日は特別にお断りさせていただいたんだよ。本当だよ、信じてくれないのかい?」 
「・・・だって!! 嘘よ、そんな事、一回もなかったもの! いつも一緒に居てくれるって言うのに、夜こっそり抜け出すの、知ってるんだからっ!!」 
「真名璃・・・」 
 抱き上げられる。寛いだ様子の兄さまの膝に乗せられる。 
「真名璃は本当に、やきもち焼きだね。でも、兄さまはちゃんと真名璃と一緒に居ただろう? 手をつないでいたじゃないか。真名璃が離してくれなかったからね」 
 優しい、慈しむような笑顔。 
「真名璃を怒らせると後が怖いからね。真名璃の我が儘は、いつもいつも聞いてあげてるだろう? 兄さまは、真名璃が一番大事なんだよ。だから、真名璃のお願いは、いつだって聞いてあげてるのに」 
 微笑む。 
「兄さまの大事な大事なお姫様だからね、真名璃は。大好きだよ。だから逆らえないんだ」  
 兄さまはいつも笑顔。いつからこんな人になってしまったのだろうか。 
 嘘つきなのに・・・頬が火照る。 
「わたくしだって、兄さまが好きよ。一番大好き。父さまよりも母さまよりも、一番大好きなの」 
 大人しく、でも唇を尖らせて抗議するように訴える。 
「だから、兄さまも、真名璃が一番好きだって言ってるじゃないか。一番大事で大好きだっていつも言ってるのに」 
 兄さまは父さまよりも母さまよりも、の所で可笑しそうに声を噛み殺した。 
 そして、くすぐったそうに笑いながら、わたくしの腰を支えた。・・・わたくしが兄さまの首に手を回したからだ。 
「大好きなの・・・。一番大好きなのに・・・」 
 呟く。小さな囁きは、でも近い距離から兄さまの耳に吸い込まれる。 
 綺麗な兄さまの顔が近くなる。綺麗だと評判の兄さまの長めの黒髪が、さらりと揺れる。 
 愛しそうに細められた黒く艶やかな瞳に写るのは、ひとりの少女。 
 ただひとりの彼の妹だ。 
「真名璃は欲張りだね?」 
「違うもんっ!! そんなのじゃないもの!!」 
 優しい兄さまの声。笑み。その手に言葉。 
 でも、どうして。そこに、こんなにもわたくしを不安にする要素が混じっているのだろう。感じてしまうのだろう。 
 わたくしはいつも騙される。 
 否、騙されてあげる。でないと、兄さまの笑みは失われてしまうから・・・。 
「じゃあ、何かな?」 
「兄さま、好き」 
 兄さまの本当に好きな人を、わたくしは知っている。回した腕に力を込める。 
「兄さまも好きだよ」 
 笑い声に混じって兄さまも言う。でも、一番じゃないのは知ってる。 
「一番好き」 
「兄さまもだってば」 
 嘘つき。 
 心の中でこっそり囁いた言葉は、多分永遠に兄さまの心に届くことはない。 
「どうしたの、真名璃。今日は一段と機嫌が悪いみたいだね」 
「・・・」 
「どうしたんだい? 何が気に入らないの?」 
「・・・だって、兄さま昨日宴に行かなかったら、今夜行くんでしょう?」 
 微かな兄さまの苦笑の気配。 
 目ざといわたくしはそれすらも感じ取ってしまうの。 
「真名璃は賢いね」 
「・・・」 
 嬉しくない誉め言葉。 
 だって、こういう時は、愚かな方が幸せだもの。 
「ああ、ごめん。そうだね、今夜は行かなくてはならないだろうな・・・」 
 兄さまは遠くを眺めるような現実感のない言い方をする。 
「皇帝様が怒っていらっしゃるかもしれないしね」 
 ずるい。 
「ずるい」 
 思っていることが声にでた。 
「真名璃? ずるいって何がだい?」 
 心底不思議そうな兄さまの声。愛しい兄さま。こういう時だけ酷く憎らしくなる。 
「だって・・・。怒った皇帝さまは絶対に兄さまを連れて行ってしまうもの」 
 微かな、微笑の、気配・・・。 
「そうだね。二日も連続で失礼をするわけにはいかないからね。そうしたら、それこそ本当に皇帝様を怒らせてしまうかもしれない」 
 わたくしの我が儘に対してだろうか。 
 兄さまの声に、どうしようもなく笑いが混じる。 
「だから、今夜はわたくしの所には、来れないのでしょう・・・?」 
 不安な声。 
 自分で聞いても嫌な気しかしない声。 
 子供の・・・どうしようもなく拗ねた、子供の声・・・。 
「うん・・・。どうにかお願いしたら、ほんの少しだけ、宴の途中で来れるかもしれない・・・」 
 その一言に胸が期待に躍る。 
 そして、心のどこかがこう囁く。―――なんて他愛のない心・・・、と。 
 わたくしの顔を見て、兄さまは庇護する者の笑みを浮かべた。 
「じゃあ、来るよ。宴の途中だから、少し遅い時間になるかもしれない。眠かったら、眠っていてもいいからね? 
 無理して起きてなくてもいいからね?」 
「うん!! わかったわ!!」 
 わたくしはただ嬉しくて頬を染めて喜んだ。 
 細い兄さまの首にしがみ付いて、力いっぱい抱きしめた。 
「真名璃。痛いよ、真名璃。ほら、離して、ね?」 
「うん・・・。ごめんなさい・・・」 
 今度は恥ずかしさで頬が染まった気がする。
 
  
  
      * * *
 ←前  次→
  |