★夏 −ノスタルジック− 02
「もう! お前、緊張感なさ過ぎるっ!」
彼は上り終わった自分の頭を軽く殴った。
普段こういう事のない分、それはくすぐったいばかりだったが。
「いいか? 見つかったら終わりなんだぞ? 明日の祭りには来れなくなるし、今日は一日中、こっ酷く怒られる。
そこのとこ、ちゃんと分かってるんだろうな・・・?」
疑り深そうな彼の視線。
それがまた、なんとも面白い顔に見える。彼に真面目な顔は似合わない。
「・・・わかってるよ、ちゃんと」
「本当かよ」
「・・・」
「おい! 何笑ってるんだっ!?」
だって、可笑しい。
「・・・ま、いっか。それより、入るぞ?」
ぎぎい・・・・・・ぃぃぃぃ・・・。
軋んだ音を立てて扉を開く。中は、薄暗がりの中で見ても、うっすらと積もった埃が確認できた。
「・・・結構、汚いね」
「そうか? 狭いとは思ったことあるけど、汚いって思ったことは、別にないけどな・・・」
都会と田舎の意識の違いだろうか。
微妙に価値観が違うようだ。
・・・変わってない彼。自分じゃそうと気づかないうちに、自分だけがどんどん変わっていく・・・。
変な強迫観念のようなものが、心を絞る。
一瞬、胸を押さえて立ち止まってしまった。
「・・・どうした? 汚くてそんなに嫌か?」
影になって見えない彼の顔。その声はどこか静かだ。
「え? ちがう、そうじゃないよ・・・」
胸の圧迫は・・・治まった。
「いや、よく見ると汚いもんなぁ、ここ。なまじ古いだけに埃の量が半端じゃないし・・・別の場所に行く?」
「いいって、ここで。見つかったことないんでしょ?」
「おう、一回も!」
「じゃあ、ここでいいよ」
「あ、でもな。誰か来たことは何回もある」
「え? なんで?」
「ああ、お前は知らないんだっけ? あのな、毎年知ってる奴だけが参加できる肝試しがあるんだ。
それが結構本格的で、深夜にこっそりとやってたんだけど、ちょうと5年くらい前に、その肝試しの最中に行方不明になった子供がいるんだよ」
「へぇ・・・。初耳だな」
「うん。地元の奴はほとんど知ってるけど、お前みたいにちょっとだけしか居ない奴には教えちゃいけないって皆言ってるんだ。不祥事だからって」
「・・・今、僕に教えてるよね? いいわけ?」
「まあ、俺は秘密にする方が変だと思うから」
「それはそうだけど・・・」
「で、その子供が結局見つからなかったもんだから、肝試しは中止になったんだ。でもな。大人達は楽しみが減るのが嫌で、今度は子供に見つからないようにすればいいって、また、こっそり始めた。
それを指摘すると、大人は自分で自分の責任が持てるから、大人達はいいって事になったんだ。
その準備やら下見やらで来る奴が時々いるんだよ。
・・・まったく、大人ってずるいよなっ!! 俺なんか肝試し一回もやったことなかったのに・・・!!」
その如何にも楽しみにしていた、という口調が、利かん気の子供を連想させた。
慰めようと、大人しく相槌を打つ。落ち着いてくれるだろうか。
「そうなんだ・・・」
田舎でも、確実に時は流れていく。
「あ、あのさ、毎年あってるの? その肝試し」
「ああ、大人だけのが、毎年毎年・・・!!」
ずるいずるいと連発する彼。やっぱり彼は変わらない。このままずっと、子供のようなままなのだろうか。
それがひどく羨ましいことのように思えた。
「でも、本当に知らなかった。僕も夏祭りの間はここに居るのにね」
「ああ、そうだな。俺だって、ここに篭るようになって、それを目の当たりにしてから初めて知ったんだから」
「知ってたら、どうした?」
「潜り込んでた」
「・・・やっぱり。でも、やってみたいよね・・・?」
「もちろん、やってみたいともっ!!」
「いつからあってるの?」
「祭りの終わりの深夜」
「・・・深夜か」
「どうする?」
「・・・二人で、混ざっちゃおうか?」
「いいね、それ!」
「うん、楽しそうだもんね。・・・なんかすごく楽しみになってきた!!」
「俺も俺も・・・っと、誰か来たみたいだ・・・」
「えっ・・・?」
「静かにっ!!」
「もごもごっ・・・」
男が一人、歩いてきた。
とても急いでるようで、足音高く御堂の前に立つ。
中では二人の少年が、息を潜めている。
男は荒い息を整えるように吐くと、人心地したのか、辺りを見回して誰も居ないのを確認すると、微かに何か呟いた。
御堂に向かって、小さく一言。
「いるのなら、でてきてくれないかな・・・?」
如何にも気の弱そうな、いつも何かに参っているような逃げ腰の声だった。
それでも、中の二人にっとては息の止まるような言葉だった。
見つかった・・・!?
焦りで思わず体を硬く強張らせた。
しかし、男はその場から決して動こうとはせず、腰を曲げて口に手を添えて、出来るだけ小さな、けれど、どうにか聞き取れるくらいの声で、ただ呟くだけ。
「いないのかい・・・? それとも、まだ、許してくれないのかい・・・? 悪かった。反省しているよ。
だから、どうかお願いだ、出て来ておくれ・・・」
その男は、息を殺して、耳を済ませて待つ。
どんな音も、聞き逃さないように。そっと、静かに待つ。
・・・無反応。
いつもと同じ、か・・・。
男は吐息と共にそう呟くと、そっと足を忍ばせて戻っていった。
その切なそうな吐息からは、男が訳有りな様子がありありとわかった。どうやら僕らは見つかっていないらしい。
彼は、僕らとは違う、別の誰かに問いかけたようだ・・・。
夏の夜の冷たさに、手を暖めるように握り締めて、男は、一度、中を透かし見るように振り返って、そして去っていった・・・。
二人は硬直していた。
ばれたかと思ったからだ。
今も心臓がばくばくと音を立てている。
「・・・行った・・・か?」
「・・・多分・・・」
どこか放心したように呟く。不安と緊張の連続で、消耗していた。
暑くて重苦しい腕に、
「あ、ねえ、放してよ・・・」
「あ? ああ、悪いっ。忘れてたっ」
羽交い絞めのようにして彼に抱え込まれていた。
開放されると同時にひんやりとした空気に触れ、荒立った心も身体も癒されていく。
・・・ああ、落ち着く・・・・・・。
ここが神社だとか、隣りに彼が居るだとか、そういうのではない快さに満たされていく・・・。澄んだ空気は夏に似つかわしくないのに当たり前のように自然に存在して・・・。
「・・・おい。お前、寝たりするなよ・・・?」
「ん・・・、多分、大丈夫・・・」
「全然大丈夫そうじゃないんだけど・・・?」
「なんだか、心地良いんだ」
「気の抜きすぎだって・・・」
「眠るつもりはないんだけど・・・」
「半分寝てっぞ〜?」
「そう、見える・・・?」
「そうとしか見えん」
「・・・ぐぅ」
「寝た?」
「寝てないよ。・・・まだ」
「おい、まだって何だ、まだって・・・。それよりも、ほら、見ろよ。大人達、酒飲んでるぞ!!」
「・・・さけ」
「・・・。いい加減起きろよ。祭りだぞ? 祭りの準備なんだぞ?」
「・・・見てるよ」
「・・・なんだって?」
「だから、見てるってば・・・」
「目、閉じてるのに?」
「・・・見えてるの」
「強情な・・・」
「本当だって・・・」
「ふん? まあ、いいや。俺が見たかっただけだし。無駄な強制はやめた」
「ううん・・・?」
「なんだよ、起きだして。俺の努力は全部無駄にしたくせに・・・」
膨れっ面の彼の顔が、薄明かりに幼く見える。それを横目に、遠くを眺める。
「・・・綺麗だね」
「・・・ああ、そうだな。でも、これは明日の為だけにあるんだよな。そういうのって、すごいと思わないか?
たった一日の為に、あんなに頑張れるなんてさ・・・」
「うん、思う。・・・今日、ここに来れてよかった。いいもの見れた」
「そっか。・・・よかったな」
「一生忘れられないくらいの思い出になりそうだよ・・・」
視線は小さく見える、祭りの準備の野原に向けて。
「俺も忘れないでおくよ」
その声が不思議と、耳に残った。
「あ、灯かりが消えた」
「そのうち全部消えるぞ」
「また、消えた」
「でも、それも綺麗だろ?」
「うん・・・きれいだ」
「人もちらほら帰っていくな・・・」
「うん・・・本当だ。・・・ああ、とうとう灯かりが全部、消えたね・・・」
「人も、皆、帰ったな・・・」
「・・・うん」
辺りは暗闇に包まれた。
あの騒がしい空気も楽しそうな場所も、今はもう静まり返っているばかりだ。
「・・・あんな所だったかな? あの、祭りの場所は・・・」
言いようのない寂しさ。
胸にぽっかり穴が開いたようだとは、よく聞くけど、初めてわかった気がした。
「いつも、あんなんだよ。
祭りの前も、後も。あそこは寂しい場所だったよ・・・。
人が寄り付くのは、祭りの時くらいだ。いつもは皆忘れてる場所なんだよ・・・」
「・・・そう、だったの・・・?」
声が悲しみを帯びているように聞こえた。
耳を打つ。
胸を打つ。
心が打たれる。
「寂しい、場所なんだね・・・」
「・・・やっと、わかったか。どうする? 帰るか?」
夜明けまでは、まだまだありそうだ。
「もう、ちょっとだけ・・・、見ていようと思う・・・」
さっきまで見ていたあの場所と重ならない。
隣りの彼は昔とすぐにでも重なるというのに・・・。
その違いが、重ならない印象がもどかしくて、少しだけ僕を追い詰める。どうしてだか、見えないところが汗をかいた。
ほんの少しだけ、僕は夢現(ゆめうつつ)のまま、口を開く。
「・・・でも、好きだな・・・」
「あ?」
「ここが、この雰囲気が・・・。何故だかわからないけど、たまらなく、好きだな」
「そうか・・・」
「ここは、強くて・・・神聖な気がする・・・」
さっきからやけに心が落ち着くのは、きっとその所為。
どこか、不安のようなものを消してくれるのもきっとその所為で・・・。
「・・・ここは、ここだけは、変わらないもんなぁ・・・」
ふと、息を洩らすように彼が呟く。
「・・・そうだね・・・」
君も変わらないと思うのだけど。
とっさに言おうと思った言葉を止めてしまったのは、さっきの言葉がまるで自分が変わったと言われたように聞こえて、当てつけられたような気がしたから。
意地でもその事は言わないでおこうと思ってしまった。
でも、思う。
もしも、僕だけ変わっていたのだとすれば・・・?
それを彼が良しとせず、無言のうちに、責めていたのだとすれば?
心地良い沈黙と、辛い沈黙が、同時に起こる。僕は、ただ沈黙に従うしかないように、口を噤む。
わかっている。これは自分の妄想だ。
現に彼はそのことを気にするでもなく、祭りの始まる瞬間を見逃さないというように彼方に視線を向けている。
静かな、静かな空気。
虫の声にただ耳を澄まし続けているような。
自然に空気となってしまったような、不思議な感覚。
そのまま、祭りの場を見る。
今では、暗闇に覆い尽くされて、跡形もなく黒に染まっている。
見えない。
夜に沈んでしまったように、何ひとつ残らず。
ふと、星の光が目に入った。
小さな、今にも飲み込まれそうに輝く星。
見ていると、胸には何か言い知れない不安が生まれてくる。
その不安は初めは小さく小さく、そして、何よりも大きくなると言うかのように、ゆっくりと・・・。
「なあ、どうした?」
「え・・・?」
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