★夏 −ノスタルジック− 01  …懐かしい匂い、湿った空気、どきどきする本当に暗い田舎の夜…。この日だけは特別騒がい、夏の祭りの夜。  


第一夜 初夏

 気がつくと眠っていたようだ。しっとりと湿った服からは、自分が存在していた名残のような温もりが、そこかしこに残っている。
 ふとした瞬間、感じるような、夏の涼しさともいえない寒さに思わず震える。
 そういえば、今日は祭りの前夜だった・・・。
 親友は、祭りの準備を手伝うと言っていた。自分にも来ないかと言っていたが・・・まだいるだろうか。
 祭りの準備はまだ在っているようだ。遠くにぼんやりとだが、灯かりがちらちら見える。
 中途半端に目が覚めてしまったことだし、すぐには眠れそうにない。どうしよう、行ってみようか・・・?
 何故か、祭り好きな親友に会いたくなった。
 こんな夜は、ひとりでいるのは、少し寂しい。
 少年は、重い腰をあげて、冷めた廊下をひたひたと歩き出した。

 

 鈴虫の鳴き声が耳について、離れない。
 引っ掛けてきただけの下駄がカラコロと場違いな音を立てる。それが妙に心を浮きたせて・・・。
 ・・・祭りは、明日だというのに・・・。
 不思議と気持ちのいい苦笑が浮かんでくる。
 灯かりが近づいてきた。虫よりも、人の声、ざわめきが近づいてくる。あまり人ごみに行かない所為か、ここまで来ておいて躊躇してしまいたくなる。
「おっ、来たのか!」
 親友が、どうして気づくのかと思う距離で自分を見つけ出す。それに呆れと妙な照れを感じつつ、歩み寄る。提灯の作り出す古風な明かりに、彼の晴やかな笑顔を見やる。
 ゆらゆら頼りないような灯りと、夜の闇が作り出す影に、いつもと違って見える顔が、ただ祭りの近さを告げるようで落ち着かない。
「楽しそうだね。準備は進んでいるの?」
「ああ。途中からいろんな人が手伝いに来て、今、計画を増やしてるところ」
「ふぅん、そう。じゃあ、人手はまだ必要かな?」
「もちろん、足りないくらいだ・・・と言いたいところだけど・・・。
 大の大人が真剣に取り組んでるものだから、俺みたいな子供は邪魔だってさ。もう、帰れって追い出されていたところ」
「ふーん・・・。じゃあ、帰るとこだったんだ?」
「の、つもりだったけどな・・・。お前せっかく来たんだから、何か見ていかないと勿体無いだろう?
 案内してやるから、着いて来い」
 腕を掴んで強引にざわざわする灯かりの方へと連れて行く。
 きっと悔しいのだ。祭りの手伝いに来て、厄介払いされたことが・・・。
 こちらからは、見えなくなった顔が、悔しそうに歪んでいるのが見なくても見える気がした。
「はいはい、どうも・・・。わざわざ、悪いね・・・」
「・・・なに笑ってるんだよ。素直か嫌味か迷うところだな」
「じゃあ、素直ってことにしておけばいい」
「・・・」
 黙った彼に笑みを向けると、ますます嫌そうな仏頂面をされた。
 祭りの前夜。その所為か、どうも今夜は浮かれている。
 何でも当日より前夜の方が浮かれてしまう性質なのか、どうも今夜は親友をからかって遊ぶなど、普段しない事をしてしまう。明日になれば、今日の不機嫌もどこやら、祭りに目を輝かせる親友の姿が思い浮かぶ所為なのか、いつもより顔が柔らかくなったような錯覚さえ覚える。・・・それに、浮かれている自覚もある。
「・・・おい。いつまで笑ってるんだよ?
 それより、見ろよ。踊り台。去年のやつだけど、綺麗に飾りつけられてるだろう? ・・・皆、頑張ったんだ」
「うん」
「屋台の骨組みも、もう、全部できてるしな。あ、アレやりたい!」
「うん、明日ね」
「明日の為に俺、夏休み節約したんだ。だから、思いっきり楽しむ!!」
「うん。僕もだよ。一緒に楽しもうね」
 幼い子供のように断言する彼がただ可笑しくて、くすくすと声が洩れる。
「・・・今年は今までで一番楽しもうって決めてるんだ」
「ふぅん、そうなの。・・・いいね、それ」
「だろうっ?」
 晴れ晴れと笑う彼の顔は、こんな時にでも、ふと魔が差したように羨ましくなる。
「実は祭りの前夜は、いつもこうなんだ。楽しみで楽しみで堪らなくなる。
 我慢できなくなって、つい、こうやって手伝いに来る。
 ・・・ここに来ると、もう帰りたくなくなる。ずっとここで、この中で、この雰囲気を味わっていたくなる。
 いつも、帰らないって思うけど、そのうち灯かりが消えて、人が帰っていって、俺一人になると、今度は寂しくて堪らなくなる。夏なのに寒く感じてきて、ただ座っているだけなのに汗とかかいてきて・・・。そうなると、もう駄目だ。耐え切れなくなって、逃げ帰る。」
「・・・へぇ、そうだったんだ・・・」
「それの繰り返しだった」
「・・・今日は」
「え?」
「今日は、どうするの?」
「何が」
「今日も、ここに残るの?」
「ああ、そのつもりだけど。・・・いつも通りにな。お前と帰った後、寝たふりして布団からそっと抜け出して、また、ここに来る。逃げ帰るかもしれないけど、やっぱりここに居たい。・・・何より、このまま帰るのも、癪に障ることだし。この雰囲気が壊れないうちにここに戻ってきて、どこか・・・大人に見つからない所に隠れて座ってるよ。
 ・・・それが、どうした?」
「今日は・・・どこか、おかしいんだ。いつもと違う気がする」
「・・・うん?」
 的を得ない答えに、おかしな顔をされる。けれど、気にせず僕は喋る。
「今日は、僕もここに居ることにする」
「えっ!? なんで!?
 お前のとこ、厳しいんじゃなかったか・・・? そんなの許してくれるわけ・・・・・・いや、それに、家に帰らなかったら、明日の祭りなんて行かせてもらえなくなるじゃないか?」
「・・・大丈夫だよ。きっとわかりっこないから。
 それに、ここで一晩明かせばいいだけなんだから・・・ね?」
「だ、大丈夫って、お前・・・!!
 それになっ! お、お前は、一度もやった事ないから、そんな事が言えるんだ!
 絶対に家に帰りたくなる! 俺は最後にはいつも家に逃げ帰ってしまうんだぞっ!?」
「今日は、一人じゃないよ。僕が一緒に居るけど・・・それでも、怖い・・・?」
「・・・!! 俺はっ・・・!! 一人じゃなくても帰りたくなるっ!! ・・・かもしれない」
「大丈夫だよ。それに僕は君が帰っても、一人でもここに居るつもりだから」
「だから、大丈夫じゃないって言ってるだろう!
 今はいい。平気だ。人もいる。灯かりも点いているし、祭りの前夜らしい雰囲気だって漂っている。
 でも、それは今だけなんだぞ? これは、ほんの今、一瞬だけなんだ。それが消えて、何もない暗闇になる恐怖・・・。その事を、お前はわかってない」
「・・・そうかな? でも・・・」
「しかも、祭りは神社の近くである。神社の近くだぞ?
 怖くて堪らなくなる。震えて、ろくに後ろさえ振り向けなくなるんだ・・・」
「大丈夫だよ・・・。そんなものなんか、ちっとも怖くないから・・・」
「わかってないだけだ!」
「そうかもしれない・・・けど・・・。あのね、今日は、家に帰りたくない気分なんだ」
「だからって・・・!!」
「ふふ・・・。どうしてだろうね。不思議と怖くないんだ。むしろ楽しいくらいある。
 楽しくて堪らなくて、ずっとここを見ていたい気分なんだ。・・・どうしてだろう?」
「・・・。やっぱりお前、おかしいよ。変だ。いつもと違う」
「・・・僕もそう思うよ。
 でも、気持ちいいんだ。考えるだけでもワクワクしてくる。
 このままここで、待っていれば祭りが始まるような・・・不思議な高揚感。
 その事を思うと、もう、どうしようもなく震えてくる。
 何かとんでもない事を期待してしまう。それを早く確かめたいのと同じ感情なのかな・・・多分、きっとそうだと思う。
 待てないけど、待つしかない。それならば、せめて一番近くで待ちたい・・・。そんな感じかな」
「・・・ふうん、そうか。・・・何かそれ、俺の気持ちとちょっとだけ似てるかもな。
 ・・・じゃあ、それなら、・・・ちょっとだけ、ちょっとだけ待ってみるか・・・?」
「うん。今ならいつまでだっていい気分だよ」
「でもさ、一晩だけじゃ祭りは始まらない。
 始まるのは明日の朝くらいだ。・・・祭りは夕方からだし・・・」
「ああ、そうだった・・・。夜は・・・明けてしまうものだったね」
 そんなことも忘れていたのが恥ずかしくて、口の中で、もごもご喋る。
 そういえば、そうだ。
 このままここで待っていれば、明日の、祭りが始まる夜が、この夜の明けないまま来る気がしていた。
「じゃあ、夜明けまで待ってみるか?」
「うん。そうしようか・・・」
「よし。そうと決まれば、さっそく隠れ場所に行くか。
 ・・・なあ。お前、昔行った事のある神社、覚えてるか?」
「神社? この近くの? ・・・ああ。ああ、うん。覚えてるよ。うん、もちろん。
 子供の頃に、よくイタズラしに行った、あの神社でしょ?」
「そう、そこだ。ま、覚えてるんなら話しは早い。とりあえず、今からそこに隠れに行く。いいか?」
「いい、けど・・・。大丈夫なの? 罰があたったりしないかな・・・」
「細かい事なんか気にしない! 誰にも見つかったことのない場所なんだぞ!」
「え。じゃあ、いつもあそこに隠れていたの?」
「そうさ。絶好の隠れ場所だろう?」
「そうだろうけど・・・。あのさ、・・・怖くなかったの・・・?」
「・・・。俺は。毎回。逃げ帰ってるって言わなかったっけ?」
「怖かったんだね・・・」
「うるさいな! ほら、さっさと、行くぞ」
「何か、本当に罰当たりな感じがする・・・。
 案外、怖いのって、神社の所為なんじゃないの・・・? きっと、罰が当たってたんだと思うよ」
「そんなの考えてなかった。ただ、見つかりそうにないと思ったら入ってたんだ」
「ふぅん。そうなんだ・・・なんかその気持ちわかるかも・・・。じゃあ、行こうか」
「おう、こっちだ」
 頼りがいのある振りだけして、実は臆病な親友は、子供の頃から変わってない。
 そんな所に笑みを誘われながら、前を歩く、親友の姿を夜闇で、見失わないように小走りでついて行った。

 

 いつの頃か。
 彼と出会ってまだ間もない頃。
 うっすらと色づき始めた夕日の中、二人で神社に行った事があった。
 それは親にも誰にも内緒で。
 まだ幼い彼は言ったものだ。
「すっごい場所に連れてってやるっ!!」
 今、思えば。口調も態度も少し強引な所も、全部、何ひとつとして変わってない。
 夏会うだけの友達は、親友になった今でもいつも同じ。
 いつまでも同じ、このままだ・・・。
 変わらない彼に、会うたび思う。安心する。帰郷は、いつしか安堵の象徴となった。
 だから思う。勘違いしてしまう。とても都合のいい、勘違いを。
 彼は時とは何の関係もないかのように存在していて。
 例えその姿が、変わろうとも中身の変化など、意識させることもなく。
 だから・・・。だから・・・

 

 彼と会うと素朴な感情が沸き起こってくる。優しさ。労わり。そして、好奇心。
 忘れ去っていた、気づくことさえなかった感情たちは、いつも彼と共にあった。
 今、前をこそこそと走っている彼は、遠い記憶の中の幼い少年。
 いつも勇気と笑顔を教えてくれた、大好きな友達。
 ふいに祭りと彼が重なって、消えた。
 楽しみな祭りは田舎に来て、彼と最初に会う行事。
 楽しみなのは、祭り? それとも彼の方・・・?
 多分、両方だろう。
 いつまでもずっと、友達で居ようと言ってくれるだろう彼は、僕の子ども時代の一番だった。


 徒然と考え事していると、神社の上の方から、彼が身振りで早く上がって来いと焦る姿が見えた。
 いつの間に上がったんだろう。
 気が付かないうちに、彼はさっさと一人で先に階段を上がっていたようだ。
 後ろを見れば、付いてきているはずの自分が居なくて、大慌て、といったところか。
 微かに笑いを噛み殺して、できるだけ素早く階段を上った。



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