★ アリスの世界 06 ・・・ウィリアム
「おや、どうしました? そんな顔をして・・・」
脱力してしゃがみ込んだアリスに手を差し伸べつつ、ウィリアムは笑いを押し殺している。憮然としたアリスは仏頂面のままその手を取り、全体重をかけて引っ張った。
ウィリアムをこけさせて自分だけ立ちあがるつもりだったのだ。
「あはは、そのくらいじゃ倒れませんよ・・・!!」
さらに笑い声を上げたウィリアムはより強い力でアリスを引いた。その反動でアリスはウィリアムの胸に飛び込む形になってしまった。
「わっ!?」
「あはは、本当に、楽しい方だ・・・!!」
驚き素直にウィリアムの胸に収まったアリスに、ウィリアムの笑い声が降り掛かる。
「・・・」
正直面白くない・・・というか、悔しい。声まで渋くなったアリスが言う。
「放して」
「嫌です」
「・・・」
まさか、こんな形で嫌がらせを受ける羽目になるとは・・・。
アリスはむきになって言った。
「ウィリアムっ!!」
「放しませんよ」
くぐもった笑い声が振動となって伝わってくる。それはとても心地よく安らげるもので・・・。
「・・・!!」
なんていうことだろう。気持ち良く思うだなんて・・・。
体から力を抜いてリラックスしかけていたアリスは、はっと正気に戻った。
「ふふふ。何をそんなに赤くなっているのですか? そんな可愛らしい反応をされると、こちらも楽しくなる」
「・・・赤くなんて」
「なってますよ、ものすごく。鏡があれば見せて差し上げたいくらいに」
「・・・!!」
ウィリアムに指摘されたことによって、赤みが増したのをアリスは知らない。
「ああ、そうだ。私の眼鏡に映ってませんか?」
ウィリアムは親切めかしてそう嘯く。
そして、片目眼鏡を見るとひどく狼狽している自分の顔が見えた。
「見えましたか?」
わかってて訊いてくる楽しげな声。
それに見えないと不機嫌な言葉を返して、アリスは唇を噛んで俯いた。
悔しい。
軽々と抱かれて、言葉巧みに操られて、普段は隠している見られたくない感情を引っ張り出されて。
これではまるで、何も知らない幼い少女のようではないか。
初めて会う王子の意のままに育ってしまう、無垢で無知なか弱い乙女のようでは。
羞恥と屈辱に染まったアリスの柔らかい頬は、今度は憤怒によって染め上げられた。
「どんどん赤くなる・・・。ふふ。まるで熟れゆく果実のようですね・・・」
「いい加減に・・・!!」
ぴと。
「・・・っな!?」
ウィリアムの唇が。アリスの頬に。・・・ついた、否ついている。
「なっ何をするんだ! ウィリアムっ!!」
首を振るとすぐに離れた唇に、離れた後の方が余計に意識することにアリスは気づかされた。
そこだけ風の感触が違うのだ。
「な、なにっ・・・!?」
ひどく狼狽するアリスに対してウィリアムは涼しい顔で一言。
「あんまりにも赤くなって、可愛らしかったので、思わず・・・」
「かっ・・・!? 思わずっ・・・!?」
「・・・ここでキスしない男などいませんよ。つい」
とウィリアムにしては可愛らしくしおらしげに言ってみたのだが、アリスには通じなかった。
「そんな言い訳は通用しないっ!!」
「本当のことなんですが・・・」
「ウィリアムっ!!」
「ですから、アリスさんがあまりにも可愛らしかったので、つい、こう魔が差したというか・・・」
「なななっ、何てこと言うんだ、ウィリアムはっっ!!」
アリスはさらに狼狽して醜態を晒す羽目になった。
「でも、一瞬の事でしたし・・・」
「一瞬でもダメっ!!」
「そんな・・・。アリスさんはクロウとキスした癖に・・・」
「なっ!? 何でそんなことウィリアムが知ってるんだっっ!!」
アリスは顔から火を吹くいきおいで叫んだ。本人はすぐそこにいるというのにっ!!
「知ってますよぅ、そんなこと。それでお茶会のときは、マイラとも・・・」
ウィリアムはどことなく拗ねたように次々とアリスの秘密をばらしていく。
「だから、なんで知ってるんだっっ!?」
ウィリアムのとんでもない発言を掻き消す思いでアリスは声を張り上げた。それはもう、咽喉も裂けよとばかりに。
「私だけじゃなくて、みんな知ってることですよ? ちなみに」
「なっっ!!」
アリスは衝撃のあまり舌を噛んでしまった。痛くて、どうしようもなくて涙が滲んだ。
「ああ、大丈夫ですか? ほら、見せてください、ね? 痛いのでしょう?」
誰が見せるかと言おうとして口を開いたら、頬を挟むように手を添え、親指だけを口に入れてきたウィリアムが盛大に溜め息をついた。
「ひどく噛んだようですね、これは。・・・血が出ています。大丈夫ですか?」
「くひほいはいはら、はらせっ!!」
口も痛いから放せっ! と言ったところでウィリアムが大人しく従うはずもない。
そう思っていたのに、素直に手は離された。
「すみません・・・。痛かったですか?」
神妙に謝るウィリアムに、怒りをぶつけるのは躊躇われた。
「・・・別に。もういいけど」
赤くなった頬を両手で庇ったアリスは手の離れたこの隙にウィリアムから距離を取ろうとした。
その一瞬の隙に、敵はアリスの手の上に自分の両手を重ね、流れるような動作で、優しく優雅に唇を重ねてきた。
「!!」
驚いて目を見開くアリスとは対照的に、ウィリアムは目を閉じていた。
優しげなくせに強引な口付けに、アリスは為す術もなく、侵入を許してしまった。
重なる吐息に、水音が混じるにつれて、アリスは熱さと息苦しさを同時に味わった。
「むぅっ・・・!?」
「・・・ん」
「むぅぅぅぅっ!!」
「・・・んん」
「むむむむむっ!!」
いつまでたっても離れない唇に、アリスは必死になって逆らった。抵抗らしい抵抗もできなかったけれど、ウィリアムは少ししてから唇を離した。
「何をっ、するんだっ、ウィリアムはっ・・・!!」
息を吐きつつ抗議するアリスを、どこかぼおっと見ながらウィリアムは呟いた。
「・・・新鮮だ」
「はあっ!?」
アリスは怒りで怒鳴ったが、頭に霞みがかっているようでふらふらする。何が何だかわからない状態になってしまったようだ。何も考えられないような・・・そんな状態に。
そこに、見かけだけが紳士だった青年の声が降ってきた。
「・・・アリスさん。想像以上です。どうしましょう・・・?」
ウィリアムの楽しそうな声音に、またくらりとめまいがする。
紳士的に見えて、意地悪で。
事務的に見えて、情熱的。
見た目とは裏腹なウィリアムの性質に、アリスはただただ混乱するばかり。
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