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       ★ アリスの世界 05  ・・・”トランプ城行きについて” 
 
 
「ウィリアムっ!?」 
 突然とんでもない言葉がよく通る声で聞こえてきたものだから、ネリザは困惑してただ声の主を呼ぶだけしか思いつかなかった。 当の本人は余裕ありげに湯気のたった紅茶をすすっている。 
 アリスも皆注目する中、ウィリアムは何を今更と、面倒くさそうに言った。 
「アリスが何処へ行こうと、何をしようと、助言くらいならできるが、強制的にその意志を曲げようとするなんて、許されると思っているのかい? 『アリス』はお客様だよ、ネリザ。そのことに一番気を使っていた君が何を言い出すことやら。 
 『アリス』の行動に決定権があるのは、『アリス』本人しかいないだろう? 当然のことだと思うのだけど・・・?」 
「ですが、ウィリアム!!」 
 言外に、そんなことは認められない! と言っているネリザの尖った声。 
「だけど、ウィリアム。トランプ城には行かせてはならない決まりだ」 
「クロウっ!?」 
 クロウまで平然と『危険だから』とは違う理由に基づいた発言をし出した。ネリザは目を剥いて叫んだ。 
「そんなの知ってるよ。 
 でも、この『アリス』なら行けるみたいだし、それならば好きにしたらいい。それだけの事じゃないかな? 違うか、ネリザ?」 
「そうかも、しれませんけど・・・!!」 
 ネリザは泣きたくなった。どうして、こうも上手くいかないのか! 
 事態は異常な方向へと進んでいた。 
 未開の領域、『トランプ城』に舞台を移そうとしていたのだ。 
 どうにかして、止めなければ・・・っ!! 
「ならば、何の問題もないじゃないか」 
 無慈悲に聞こえるウィリアムの必要以上に冷たい声が耳朶を打つ。 
「いやあぁぁぁぁっ!! アリスぅ、行っちゃダメぇぇぇっ!!」 
 それに拒絶反応を起こしたようにマイラが絶叫する。 
「アリスが行く事を止めないのなら、僕も行くよ」 
「いいの? クロウ」 
「うん、いい」 
 ≪不可! 不可!≫・・・≪トランプ城行き、決定!!≫ 頭の中で今だ聞こえていた≪声≫が煩く叫ぶ。 
 クロウとアリスは、もう行く事が決まったかのように話し始めた。 
「ダメですっ!! 絶対に、ダメですっ!!」 
 『アリス』を危険にさらしてはいけない。 
 『アリス』をトランプ城に行かせては、ならないっ!! 
 ネリザは頭の中で呪文のようにぐるぐる回る言葉に囚われた。 
「行かせはしません! ええ、決して行かせはしませんからねっ!!」 
「そんな、どうして、ネリザ・・・っ!?」 
 アリスは理解できないというようにネリザを振り返った。異常な執念に取り付かれたようなネリザが、急に遠い存在に感じられた。 
「もう、無理だよ。諦めなよ、ネリザ。 
 アリスは決めちゃったんだ。行く事はもう、決定事項なんだよ・・・」 
 点滅しなくなったペンダントをぼんやり眺めながらクロウは呟く。その声はとても小さかった。 
「たとえ、そうでも、行かせはしませんっ!!」 
「もう、いい加減に諦めたらどうなんだ? 私達に『アリス』の行動を妨げることなんか、どうせ出来やしないのに」 
「ウィリアムっ・・・!!」 
 いつも冷静で真実しか語らないその顔がこれほど憎らしく思える日が来るとは・・・!! 
 ネリザは自分が無駄なことをしている自覚を持ちつつ、いつまでも執着していられないことを知っている自分に腹を立たせた。 
 そんなこととうの昔から知ってる!! 
 限りなく好転しそうにない状況に、ネリザは疲れを感じた。 
 完全な不利。もう、どうしようもないのか・・・? 
 そんなこと・・・・・・。 
「ごめんね、ネリザ、マイラ。僕はどうしてもトランプ城に行きたいんだ。何故だかわからないのだけれど。 
 でも、きっと戻ってくるから、心配しないで待っていて・・・?」 
「・・・」 
 アリスの変わらぬ意志に絶望してか、突然ネリザは音もなく力尽きたようにしゃがみ込んだ。 
 ・・・それは糸の切れたマリオネットの動きだった。 
「ネリザ? 大丈夫!?」 
 自分の所為でこんなになってしまったのなら、と戸惑ったように声を掛けると、しっかりとしがみ付いていたマイラはずのまでも、カクンと倒れた。 
「え?」 
 ぴくりとも動かない二人が、奇妙にぶれたような気がした。慌てて目をこすってみたが、どこか存在感が薄くなったような感じがした。白々しい嘘ほどに信じられない不安と焦りが湧き上がってくるのを止められなかった。 
 彼らの目はもはや何も映してなかったのだ・・・。 
「え・・・? なに? どうしたの、二人とも・・・? 
 ねぇ、二人は大丈夫なの? こんなになって・・・僕の所為で・・・!?」 
 
  ・・・・ヴ・・・・・ヴヴヴォ・・・・・ヴヴン・・・・ヴヴ・・・ン・・・・ 
       奇妙な音まで聞こえ出した。アリスは不安という恐怖に押し潰されそうな気がした。 
「ああ、これですか? 大丈夫。何の心配もありませんよ。 
 ちょっと、後始末というか、何と言うか・・・。記憶の改竄をしているだけですから」 
「何のこと・・・?」 
 薄れていく姿とともに、カタカタという変な音がし始めた。 
 その姿が薄れていると思ったら、体の上に浮き上がるように同じ半透明の体があった。 
 ぶれて見えたのはその所為だったのだ。電波の悪い映像のようにそれは何度も消えかかっていた。 
「別にたいしたことではありませんよ。あなたは知らなくていいことです」 
「でも・・・」 
 気味悪そうなアリスに対して、ウィリアムは平然とし過ぎていた。 
 どこも異常なことなどないと言うように。 
 アリスは心ばかり落ち着きを取り戻した。 
「それよりもアリスさん。あなたはどうやらひどく特別な『アリス』であったようです。こんなことは初めてです。どうか、お名前を教えていただけませんか・・・?」 
 感情の読めないウィリアムが、感心したように頬を緩めて訊いてきた。 
 その質問にアリスは顔が嫌そうに歪むのを感じた。 
「・・・」 
 仏頂面のアリスを不思議そうに見たウィリアムは聞こえなかったのかな、ともう一度繰り返した。 
「あなたのお名前を教えていただけないでしょうか?」 
「・・・アリスだよ」 
「いえ、『アリス』ではなく、あなたの本当の名前を・・・」 
 自分の名前のことで気分を害したアリスは語尾を荒げて喋った。 
「だから、僕はアリスという名前なんだよっ!!」 
「え・・・」 
 黙って事の成り行きを見守っていたクロウが、少し驚いたように顔を上げた。 
 いつものおどけた、人を楽しませるような表情ではなく、純粋に驚きを表した素直な子供の顔だった。 
「アリスっていうんだ・・・」 
 茫然と呟く。 
「・・・そうか、だからトランプ城のことだって・・・」 
 その声はもう声ではないくらいに小さかった。 
「もしかしたら、このまま行けば、もしかしたら、会える、かも、しれない・・・?」 
 それは唇だけで形作られた“言葉”だった。 
 しかし、ウィリアムには届いた。彼にはクロウの言葉など、聞かなくても解かっていたのだ。 
「クロウ?」 
 ひとり不思議そうに尋ねるアリスのなんと無知なことか! 
 ウィリアムは、可笑しさに体が侵されるのを感じた。頬が意に反して笑みを形作る。 
 熱に浮かされたようにどこか遠くを見つめるクロウには、アリスの声は届かなかった。 
 アリスが怪訝に思ってクロウの肩に手を掛けようとするのを止めて、 
「クロウのことはしばらく放って置いて。時々、ふとあんな風に考え込むことがあるんですよ。それよりも、アリスさん。私も一緒にトランプ城に行っても構いませんか? 
 よろしかったら、ご一緒させていただきたいと思ってましたので・・・」 
 クロウとは違って、微塵の同様も見せずにウィリアムは微笑んだ。 
「あ、はい。もちろん。一緒に行ってくれる人がいると心強いですし・・・」 
「光栄です」 
 そう言ってアリスの手を取り、優雅に口付ける。 
「あ、あ、あ、あのっ! ウィリアムっ!!」 
「何か?」 
 品の良い微笑を浮かべてウィリアムは顔を上げた。 
「う・・・。あの、言い忘れていたことがあるんですけど・・・」 
 直視できずに目を逸らすアリス。それを照れと取ったウィリアムはどこか上機嫌にアリスを見る。 
「はい? 何でしょうか?」 
 ウィリアムには言って置かなくてはならないような気がした。 
 取り乱す事もないだろうし、何よりこのままの方がまずそうだ。 
 思い切って声をしぼり出す。 
「あの・・・。実は僕、男・・・なんですけど・・・」 
「・・・は」 
「あの・・・?」 
 アリスの目には、ウィリアムは微笑んだまま固まったようにしか見えなかったのだ。 
「・・・そうだったんですか・・・」 
 一瞬固まったかに見えたウィリアムは、しかしにこやかに嘆息して言った。 
「はい、あの・・・すみません、黙っていて・・・」 
 小さくなるアリスにウィリアムは軽く声を掛けた。 
「いいえ。気にすることありませんよ、そんなこと」 
「え・・・?」 
 思わず顔を上げてウィリアムの真意を探ろうとしてしまった。 
 まさか、こうも簡単に受け入れられるとは思ってもみなかったのだ。 
「全然問題ありませんから、大丈夫。安心して。そんなに気を使わなくてもいいんですよ」 
「でも・・・」 
 逆に戸惑わされたアリスに向かって今まで通りに接した彼はしかし、 
「ふふ。でも、とても男の子には見えませんね、アリスは・・・」 
 にっこりと笑って楽しげに囁いた。 
「・・・」 
 ついくらりと眩暈を感じたアリスであった。もう既に後悔し始めてしまった。 
 気まずげに目を逸らしたアリスは言わなかった方が良かったかもと強く思った。
 
  
  
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