★ アリスの世界 03  ・・・魅惑的な飲み物


「えっ!?」
 アリスは条件反射のように驚き、ウィリアムの微笑をかった。
 ウィリアムを見たアリスには、彼がこちらを見ているようには見えなかったのだ。あまりにも唐突なことの連続にアリスは過剰に驚いてしまった。
 戸惑って上げた声にネリザが反応し、眉を吊り上げて注意する。
「ウィリアム!! まだ、お嬢さんであられるのに、なんてもの勧めるんですかっ!!」
 ネリザは真っ赤になって怒ったが、アリスはウィリアムの手で揺れるその液体から目が離せなくなっていた。
 異様なほどに、魅力を感じられる、恐らくアルコール入りであろう紅茶。
 アリスの心中を見透かしたようなタイミングでウィリアムは言った。
「ほら、アリスさんも飲みたいって言ってるようだけど?」
「アリスさんっ!?」
 ネリザが信じられないというように振り向いた。
 ウィリアムが微笑みながら、ティーカップを押し付けてきた。
 アリスは弾みでそれを受け取ってしまった。
 手にすると、それはより一層の強制力をもってアリスの心を縛り付けてきた。
 手放しがたい。どうしよう。ならば・・・飲んでしまおうか?
「どうぞ? お飲みください、アリスさん・・・」
 まるで、見計らったように、これはあなたの為に用意したものですとばかりなウィリアムの声がかかる。
「・・・。・・・・・・」
 こく、こく、とアリスの咽喉が鳴る。小さなティーカップを聖杯のように捧げ持って飲む。
 濃い、熱い液体が咽喉を通る。アリスの舌は、その液体をもっとよく味わう為に小さな音を立てた。
「・・・」
 カップから口を離した後、アリスは貪欲に、まだ味わい足りないと唇を舐めた。
 咽喉が焼ける。熱い熱い熱い!! 体が火照る。息が熱い・・・っ!!
 血がドクドクと音を立てて体中を駆け巡る!! 熱い熱い熱いっ!!あついっ・・・!!
「ふふふ・・・。さすが、アリスさん。いや、実にお見事でした。
 ・・・どうでしたか? お味の方は。お気に召していただけたでしょうか・・・?」
 視界の隅で、ネリザが顔を上向けて嘆いているのが見えた。
「アリスさん・・・?」
 再度声をかけるウィリアムに、のぼせた赤い顔を向けたアリスは、何事かを言いかけて、よろけた。倒れかかったアリスを器用にも片手で受け止めたウィリアムは、突然子供のように素直な笑顔を見せた。
「おやおや。大丈夫ですか?
 こんなにふらつかれてしまって・・・。まったく、可愛らしい方だ・・・」
 それをふわりと抱きかかえ直して彼は、くすくすと楽しそうに耳元で囁いた。
「・・・うぅぅ・・・りぃ・・・む?? うむむぅ、むむぅ・・・」
「あはは、本当に可愛らしい・・・っ!!」
 口の回らなくなったアリスを見て、より一層楽しげになる。さっきまでと随分雰囲気の変わったウィリアムを、アリスは不審そうに見た・・・つもりだったが、目が言う事を聞かない。開かないのだ。瞼が重く、強制的に下がってくる・・・。
 アリスはそれを止めることができずに、暗闇の世界を見る羽目になった。
 羽根のように軽々と抱かれ、本当に自分が羽根になったのでは・・・と疑う気さえしてくる。
 いい気分だ。心地よい・・・。このまま、眠ってしまおうか・・・?
 ふわりふわりと抱かれたまま移動して、椅子に掛けさせられた後、辺りを窺がう意味で薄く目を開けてみた。
 誰もそんなアリスに気づいた様子もなく、みんな悠々と寛いでいる。
 そんな様子を見て、すっかり安心したアリスは、今度は深く目を閉じることにした・・・。


* * *

「くすくす・・・」
「何て可愛いのかしら・・・」
「熟睡してますね、これは」
「どうする? 起こす?」
 暗闇の中で声がする・・・。微かに鼓膜を振動させるそれらは、どこか歪められたように大きく頭の中で響く。
 聞こえてはいるが、それらは眠りに勝つには弱すぎて・・・。
「あら、起こしちゃうの? もったいないわ」
「でも、起こさなきゃ。時間がなくなっちゃうじゃないか」
「・・・それはそうだけど。でも、もう少しだけ・・・」
「もうっ。マイラってば・・・!!」
「はいはい、落ち着いてくださいね。クロウ」
「じゃあ、起こそうか」
「うん、わかった」
「あら、あなたが起こすつもり? クロウ」
「・・・そうだけど、何? いきなり」
「あたしが、アリスを起こしたいわ」
「あのねぇ、そんなの誰がやっても・・・!!」
「はいは〜い。二人ともお静かに。アリスさんが目を覚ましてしまいますよ?」
「あら、嫌だ」
「って、起こすんじゃなかったの? 別に今ので起きても問題ないんじゃないの・・・?」
「これだから、あなたは・・・。まったく何もわかってないのね」
「・・・何のこと?」
「うふふっ。知らないのなら、知らなくていいことよ」
「気になるよっっ!」
「アリス・・・起きて、アリス・・・」
「うん・・・・ん・・・」
「「あっ!! ウィリアム、ずるいっ!!」」
 クロウとマイラの声がはもった。それが決定打となり、アリスの意識が覚醒する。
「あ・・・」
「おはよう、アリス。やっとのお目覚めだね」
「ウィリアム・・・」
「随分リラックスできたようですね」
 ネリザの声に羞恥が身に走る。
「あんまり気持ち良さそうにお休みだったので、誰かが間違って安眠効果のあるお茶を飲ませたのかと思いましたよ」
「うん・・・」
 ネリザはアルコールの代わりに、と言外に匂わせるように言った。向こうでウィリアムが小さく肩をすくめていた。
 妙な気恥ずかしさに困りながら、アリスは生返事だけを返した。ネリザは意味ありげに両目を細めている。アルコールによる軽い余韻がまだ頭の中に燻っている。
「でも、リラックスできて、本当に良かったです」
「ありがとう・・・」
 言葉と共に差し出されたネリザのハンカチを借りて軽く顔を拭く。
「ねぇ、アリス。アリスに食べて貰おうと思っていたクッキーが出来たわ。これよ」
 マイラが黄金色のお菓子を持って来た。
「とってもいい出来なの。ちゃんと暖めてアリスが起きるのを待っていたのよ。さあ、熱い内に召し上がれ!!」
「わざわざありがとう、マイラ」
「いいのよ」
 マイラは可愛らしく照れたように目を細めた。日差しに咽喉を鳴らす猫のようだと思った。
 起き抜けの、深く考えられないような不安定で気持ちの良い状態。
 アリスは差し出されるままに、それを口で受け取った。
「どう・・・。おいしい・・・?」
 聖母のようなマイラに全てを任せる。
「うふふ・・・。もっと食べる? まだ、たくさんあるから遠慮しないでね・・・」
 マイラに促され、アリスは甘い時をひたすら貪った。
「アリス・・・。口に付いてるわ。ほら、今とってあげるから・・・。うふふ。もう、アリスったら・・・」
 アリスはマイラの手に頬を擦り寄せた。口元にあったマイラの手はアリスに口付けされたような形になった。
 くすぐったそうにマイラは手を引っ込める。
 その手をアリスの髪に添えて、優しく撫でていると、ふと思いついたように、
「そうだわ、アリス! リーフ・シュガー・ティーでも飲まない?」
 そう言って、マイラが立ち上がる。その拍子に、アリスを包んでいたマイラの髪が、ウェーブを描きながら音を立てて退いていく。
 アリスはそのサラサラとした感触を楽しみながらゆっくりと身を起こした。
「ちぇっ、何だよ。アリスばっかり構ってさ・・・」
「クロウ?」
「ふふふ。クロウったら、またやきもち焼いたりして・・・。
 クロウも一緒に飲んだらどうです? マイラ特製のリーフ・シュガー・ティーを」
「ネリザぁ。僕はあれを飲んで寝込んだことがあるんだよ!?」
 知っていてわざと言うネリザを意地が悪いとクロウはなじった。
「あはは・・・!」
 笑ったアリスを軽く睨んで冷めた紅茶を一口。
「あ、クロウ。新しい紅茶を入れてあげましょうか?」
「いいよ。僕はこれで充分さ」
 するとウィリアムがくすくす笑って口を挿んだ。
「意地はらなくてもいいのに・・・」
「何!? ウィリアムっ!!」
「何でも。ところで、今日のマイラはいつにも増して上機嫌だね。やっぱりアリスのおかげかな?」
「そうなんだ?」
「ええ、本当に。彼女の機嫌が悪いときは、お茶会はめちゃくちゃになるんですよ」
「そうそう。しかも、マイラ、機嫌が悪いと決まって、甘いお菓子を食べまくるんだ。すっごくたくさんね。
 僕なんか、その匂いを嗅ぐだけで気持ち悪くなっちゃうんだよ・・・!!」
「まあ、クロウ。いったい何の話?」
「わぁ、マイラっ!!」
 マイラは手に上品で凝った細工のティーカップを持って歩いてきた。
 クロウは驚き飛び上がり、ウィリアムは静かにお茶に口をつける。ネリザだけがひとり楽しそうにクスクスと忍び笑いを漏らしていた。




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