★ アリスの世界 02  ・・・お茶会のはじまり


 アリスが泣き出してから、ずっと抱きしめていたクロウだが、今は子犬のように途方に暮れていた。
 大丈夫だと強がりを言ったアリスが落ち着くまでこのままでいるつもりだったが、困った事にアリスはどうやらそのまま眠ってしまったようだ。
 仰向けにしてやり、その辺の木の横たえてやると、何事か寝言らしきことを言った。
「・・・、あ・・・とぅ、うむうむ・・・」
 理解不能。
 というか、ありがとう、と言ったように聞こえるが、その後が謎だ。謎過ぎる・・・。
 一息つこうと隣りに腰掛けたクロウは、聞き慣れた音を耳にした。
  ・・・・ちぃっく・・・・たぁっく・・・・ちぃっく・・・・たぁっく・・・・
 それはのらりくらりと、異様にゆるやかな音を立てていた。
 今まで存在を忘れていた自分の懐中時計だった。文字盤の下には、不似合いな文字で【あと、残り5分】と表示されていた。
「・・・あ」
 それを見た瞬間、頭が真っ白になる。
「ああ、しまったぁっ!! 急がないと、今度は本当に遅刻するっ!!」
 クロウは慌ててアリスを叩き起こし、まだぼぉっとしているままのアリスを引きずって、森を走り出した。
「あれ、クロウ・・・?」
 呑気に目をこすって、欠伸を噛み殺しているアリスがやけに憎い・・・。
「・・・おはよう、アリス。
 タイム・リミットが迫ってきたから、今、全力で丘の上に向かってるところなんだ!!」
「・・・タイム・リミット? なかったんじゃないの?」
「あのね。イベントを終了したら、もうこの森の存在理由はなくなるんだ。それに多少時間を操作できるといっても限度があるしね。
 そういうことだから、イベント後はタイム・リミットが設定されてるんだよ。言うの忘れてたけど!」
「・・・そうなんだ」
 アリスはマトモに対応していたかと思えば、目を閉じようとしていた。
「あ、この! また寝ようとして・・・!! もう着くんだよっ!?」
「・・・わかってる・・・」
「・・・。分かってて寝るのか? アリスは」
「・・・ちがう」
 言いながらアリスの頭はカクンと垂れた。
「・・・ああっ! もう、また寝てっ!! ・・・っと、着いたぁっ!!」
 ザッ!!

 最後の草の一群を抜けると、拓けた場所に出た。
 周りの景色も一転して素晴らしく、空も草原も見渡す限り、どこまでも続いているように見えた。
 そして、そこには、クロウにとって見慣れた顔が揃っていた。

「やあ、今回はえらく遅かったじゃないか」
 黒尽くめの少年紳士が、息を切らせているクロウを面白そうに眺めながら言った。
 彼は、クロウとは対照的にえらく寛いだ感じで足を組み、紅茶を片手に気取ってように笑った。
 襟の高い服と、大きめの帽子が彼の顔を奇妙に見えるように縁取っていた。黒い色に挟まれた白い顔と金髪、そして青い瞳が、やけに印象的だった。
 それらはまるで、アリスの目に焼き付いて離れないというように、どこまでも圧倒してきた。
 片目にある銀の眼鏡と古びたステッキが、老紳士然としていて、彼の若さを曖昧にする重苦しい雰囲気を醸し出していた。
「ふふふ・・・。そう、からかうものじゃありませんよ。可哀想じゃありませんか。
 せっかく頑張ってきたのだろうから・・・。ねぇ、マイラ?」
 独特のとんがり帽子を被った、男とも女とも判断のつかない背の高い人が、笑いを含んだ声で、隣に座っている少女に同意を求めた。
「あら。でも、今回はいくら頑張ったにしても、時間ぎりぎりだったわ。それは、ちょっと遅すぎるんじゃないかしら?」
 豊かな黒髪の両側に大きなリボンをつけた可愛らしい少女は、しかし、どこか棘を感じさせる口調で、挑むように言い放ち、その後で二人を面白がるように交互に見つめた。
「なんで、こんなに遅かったんだ?」
 黒尽くめの少年紳士がおもむろに訊いた。
「それは、」
「んもう、ウィリアム! お嬢さんが困っているのが見えないんですかっ!?」
 クロウが答える前に、背の高い人が憤慨して怒鳴った。
 そして、アリスの方へ向き直ると、穏やかな微笑みを浮かべて紳士的に腰を折った。
「はじめまして、お嬢さん。
 私は『帽子屋』をしております、ネリザ、と申します。どうぞ、お見知りおきを・・・」
 ネリザは、優雅なお辞儀までして見せた。
「あっはい、こちらこそ・・・!!
 僕は、アリスといいます。よろしくお願いします・・・」
 アリスは慌ててお辞儀して返した。
 ネリザは、相変わらず穏やかな微笑みを浮かべていたが、他の皆にも聞こえるように優雅に一言、
「初対面のお嬢さんを放って置いて・・・。それでもあなた方は粛然なる紳士淑女なんですか?
 礼儀がなってませんよ、まったく・・・。それじゃ、二人とも。お嬢さんに自己紹介をしてくださいね」
 あっけに取られている少年達を尻目に、少女が要領よくさっとアリスの前に進み出た。
「どうも、はじめまして、アリスさん。先程は大変失礼いたしましたわ。
 あたしは『チェシャ猫』のマイラ、と申します。女の子同士・・・仲良くしましょうね?」
 首を傾げて艶やかに微笑みながら、マイラは握手を求めてきた。
「は、はい、よろしく・・・」
 アリスは、やや気後れしながらその手を握った。
 ネリザの一言に苦笑を残したままの少年紳士がマイラに代わって進み出た。
「アリスさん。はじめまして。
 私は、そうですね・・・『黒尽くめ』、とでも言っておきましょうか。ウィリアムと申します。以後、どうぞよろしくを・・・」
 ウィリアムは謎めいた微笑を浮かべてアリスの手を取った。そのまま手を微かに上下させるひどく宮廷風な挨拶をしてみせた。
「どうも、よろしく・・・」
 アリスは手を取られたまま、ただ茫然として呟いた。
 何か、漠然とした不安のようなものを感じて・・・。
 あるいはそれは予感だったのかもしれない。何か、言い様のない感情だったのは確かだ・・・。
「最後に僕が、『ウサギ』のクロウ。
 改めてよろしく、アリス。・・・アリス?」
「あ、ああ、うん、よろしくクロウ・・・」
 アリスは、はっとした。一瞬にして正気に戻されたような感じだった。
 クロウが不思議そうに覗き込んでいる。その少し後ろからウィリアムも顔を覗かせている。
 さっき、たったのほんの一瞬だけ、クロウとウィリアムの顔がだぶって見えた。そう、同じ顔に・・・。
 今あらためて確かめて見ると全く違う。完全に別人だ。
 ただ、目が合ったウィリアムが薄く微笑んでいるのが、妙に気にかかる。
 目が吸い付けられたように離せない。何故だろう・・・?
「さあ、みんな挨拶も終わった事だし、さっそくお茶会を始めようか!!」
 クロウが元気に言うと、アリスの呪縛が溶けるように解けた。
「ええ、そうしましょう。可愛らしいお客さまもいらっしゃることだし」
 ネリザがアリスを丁寧にテーブルまでエスコートした。
「そうだわ。今日はあたしの好きなリーフ・シュガーティーにしましょう」
 マイラが名案だと手を打って切り出した。
「あら、あれはダメ。甘すぎます。あんなもの、飲めるのはマイラ、あなたぐらいですよ」
 アリスはその会話を聞くともなしに聞きながら、ごく機械的に用意してあった冷めた紅茶を飲んだ。
「あら・・・。あら、アリス。今、新しいお茶を入れる所だったのに・・・」
 マイラが驚いて席を立った。
「アリスはそんなに咽喉が渇いていたの?」
「いえ、そんなことは・・・」
 アリスは何故、自分が紅茶を飲んだのか、わからなかった。まるで手が勝手に意志を持って行動したようで、ただ戸惑うばかりである。
「そう? あ、アリス。あなた甘いものは平気かしら?」「は、はい。全然平気です・・・」
「ふふ。そんなに畏まらなくてもいいんですよ?
 さあ、お茶でも飲んで。ゆっくりリラックスしてくださいね、アリスさん・・・」
 ネリザは優しく言う。マイラも優しく微笑み、お菓子を勧めてくれた。
「これ、食べて? あたしの手作りなの。かわいいクッキーでしょう?」
 花の形にくり抜いた、小さなクッキーが山ほど入ったバスケットを差し出してきた。
「まずは一口、このままで・・・。どう? おいしい?」
 アリスは言われた通りに一枚のクッキーを口にした。
「おいしい・・・!!」
 その小ささからは想像もできないような軽やかな歯触り。甘さ。
 どれをとっても、美味いの一言しかでてこない。
「うふふ・・・。本当? じゃあ、次はこれを付けて食べてみて。きっと、おいしいから・・・」
 そう言ってマイラは、手にジャムのたっぷりと乗った小皿を取ってきた。
「これは木苺のジャム。こっちは、檸檬蜂蜜。そしてこれが、ブルーベリーソース。あ、これは、ソルト・バターよ。
 どれも、とってもこのクッキーに合うの。すごくおいしいのよ?」
 飾り物のような見事さに、思わず見とれていたアリスは、
「どれにする?」
 マイラの甘い声とともに香ってきた、甘い木苺の香りに惹かれた。
 熟した木苺を、これでもかというくらいに煮詰めた、甘い甘い香りはどうしようもないくらいにアリスを刺激する。
「これ、この木苺のジャムがいい・・・」
「わかったわ。・・・はい、できた。さあ、どうぞ、召し上がれ、アリス」
「ありがとう」
 アリスは木苺のたっぷりと乗ったクッキーを一口に頬張る。
「あ〜、いいなぁ、アリスだけぇ。ずるいよ、特別扱い?」
「どう? おいしい? まだ食べる?」
 クッキーとマイラの声の甘さに、クロウの不満も遠のく。
「うん、まだ食べたい・・・」
「そう? ふふ。気に入ってくれた?
 あ、そうだわ!! 次は檸檬蜂蜜とソルト・バターを混ぜたのにしましょう!! それをじっくりとしみ込ませるの。きっと気に入るわ!!」
 マイラが嬉々としてその準備に取り掛かりに行くと、ネリザがこっそりとアリスに近づいてきた。
 内緒話のようにそっと耳に囁く。
「無理なんかしなくてもいいんですよぅ? マイラはすごい甘党なんだから・・・」
 その様子が如何にも恐ろしげだったので、アリスは笑みをこぼした。
「あはは、そんなこと・・・! 別に無理なんかしてないから、心配しないで。
 それに僕も甘いものは大好きだし、マイラのお菓子は本当においしかったんだ」
 いつの間にか、クロウを扱き使っているマイラに苦笑していたウィリアムが隣りに座っていた。
 気づいたのと同時にティーカップを差し出された。
 そして、差し出したのと同じように突然一言、
「ロシアン・ティーでもいかが?」
 どこを見ているのか判断のできかねる調子で言ってきた。




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