*◆◇◆  コールド,スノー・ホワイト・プリンセス  ◆◇◆*


◆第1話 氷の姫 ―――≪予感≫

「・・・まあ、なんて美しいんでしょう・・・」
 彼女の美しさは比べ物にならないくらいに素晴らしいものだった。

  淡雪のように白くきめ細やかな柔肌。
   林檎のように爽やかな頬。
   まるで気高い天然のアメジストをはめ込んだつぶらな瞳は、いつも夢見がちに潤んでいて・・・。
   しかし、それは今、いつも以上に潤んでいた。

 童話の中のお姫さまは言っていた。

「お母様が怖いの・・・」
「わたしは、わたしは殺されてしまうわ・・・。嫌、死ぬのは怖いの。嫌なの・・・」
「ああ、ああ、一体どうしたらいいのかしら・・・?」

 雪のように白い肌。
  黒曜石のように黒い瞳。
  そして、血のように、赤い唇・・・。

 冷たい頬は赤みが差す事さえ滅多になく、
  その暗い色の髪は、光が反射してもなお暗く、
   微かな優しさの欠片も見出せそうにない真冬の冷たさをその身に纏い、

 彼女はいつも静かにたたずんでいた。
 美しくて、冷たい、世界・・・。


「・・・くだらない」
 何度口にしたかわからないくらい、同じ言葉が口を出た。
 コルドは読んでいた本をパタンと閉じた。
 寒さがいつも、そこかしこに潜んでいる書庫に彼女はいた。吐く息が白く凍りつく。
 頬杖を付いて小窓から外を眺める。外は白一色だった。雪が全てを覆っていた。
 ・・・退屈で堪らなかった。

 コルドは先日十八の誕生日を迎えた。
 途端に変わりだす継母の態度に苛立ちを隠す事もできずに、最近書庫に閉じこもってばかりいた。

「・・・お姉さまぁ、ここにいらっしゃるのぉ?」

 可愛らしい声が狭い部屋いっぱいに木霊する。これでは気づかないわけにはいかない。

「・・・ええ。なにか用でもあるの? レイシア」

 
上の階段から顔だけ覗かせて、妹に答える。

「コルドお姉さま!!」

 
嬉しそうに顔をほころばせて長い螺旋階段を優雅に上ってくるレイシア。私のたったひとりの義妹・・・。

「どうしたの? 何かあったの?」
「もう! まだそんなことを言ってらっしゃるの? お母様の話では今日か明日くらいには着くそうなのよ?
 お姉さまの婚約者の方が」

 興奮したように頬を染めて話す妹に、冷めて仕方がない視線を軽く当てる。
 ・・・くだらない。
 後妻であり、コルドにとって継母になる『お母様』は、何を思ったかコルドが十八になると、すぐさま婚約の話を進めた。とても良い知り合いであると、勝手に婚約者を呼んで、見合いの真似事をしようというのだ。当然のようにコルドの了承を得ることはなく、拒否することすら頭にない。
 彼女いわく『大人』として、『母』として当然のことらしい。
 そんな馬鹿な嘘にまんまと騙されて、父も長女だから、成人したからと乗り気で、この縁談はコルドの意思など全く関係なく進められていた。
 ただひたすら気に食わなかった。
 レイシアはよく知りもせずに、ただ姉が結婚するという話に舞い上がっていた。
 結婚する女性は皆幸せと信じて疑わないのだ。初めは戸惑いが強く幸せじゃなくても、きっといつか幸せになると本当に思い込んでいた。幸せな教育を受けていたのだ。
 レイシアは、姉とその血が半分違うことに全く気づいてない。
 誰もそんなことなど彼女に教えなかったからだ。
 彼女はまだ幼いからと、継母に優しく優しく育てられていた。
 幸せに包まれて育ったレイシアには、大人達が優しい笑顔の下に、どんなに醜く歪んだ表情を持っているかなど想像もつかないことであり、自分に甘く優しい母が良からぬことを企むなど、存在するはずのない世界で生きていた。

「そう。じゃあ、今夜はパーティーになるのかしら・・・?」

 ただ、ひたすらに面倒だと思う。『母』の茶番に付き合わなくてはならないばかりか、向こうが承諾したら即結婚につながるであろう今夜の夜会に真面目に参加しなくてはならないという事実に対して。
 そして、それを覆せない自分自身に対して・・・。

「ええ、そうなの! 外の人が来るなんて、なんて久しぶりなんでしょう!! 
 どんなドレスを着ようか、とても迷ってしまって・・・! ああ、楽しみね! お姉さまも一緒に選びましょうよ!!」

 その幸せそうな笑顔に、苦みが湧いてくる。
 
どうして、今夜のことが素晴らしいことだと、決め付けられるのだろうか。
 その単純で純粋な部分が羨ましい。
 ・・・いや、妹をひがんでいてもしょうがない。
 何せ、彼女は『何も知らない』のだから・・・。
 何も知らないのは幸せの証。愛され守られている証拠。だから彼女は屈託なく笑えるのだ。

「私はもう、決めているの。ごめんなさい、ひとりで選んでちょうだい」
「・・・そうなの? そうなら、仕方ないわ、・・・でも、本当に残念だわ・・・」
「それならばメアリと一緒に選べばいいじゃない?」
「ええ、そうね・・・そうするわ。・・・読書の邪魔をしてごめんなさい、お姉さま」
「気にしないで」
「うん・・・それじゃあ・・・」

 
長い裾を軽やかに翻して階段を下りていく妹に、童話の中の姫君が重なった。
 
その、抱きしめたら折れそうなくらいに華奢な肩も。
 手も足も指先さえも、凍りつく事なく、柔らかい暖かさに包まれている体も。
 全部が全部、妹だけに与えられたものだった。

 
ああ・・・。なんて、なんて、幸せな『お姫さま』だろうか・・・。

 
コルドはまた本を開くと、その文字を眺めるようにして読み始めた。

 
気づけば外は薄暗い。自分が手を擦っていたことに気づいた。
 赤い、けれどひび割れることのない滑らかな手。
 まるで、最初から氷でできているような、冷たい冷たい白い指先。
 暗さと吐息の白さで文字が読みにくくなっていた。
 もう止めよう・・・。
 途中まで読んだその本をなんの躊躇もなく閉じると、外はもうシンとして何の音も聞こえてきそうになかった。これなら『母』がわざわざ呼んだという婚約者と今日は会わなくて済むだろうと思うと少しだけほっとする。

 チリリン。

 小柄なメイドが小さな鈴を鳴らしながら入ってきた。

「お嬢様ー? コルドお嬢様あ? いらっしゃいますかぁー?」
「・・・ええ、ここよ」
「ああ、よかった。やっと見つかった。お嬢様、お食事の時間でございます」
「ああ・・・もうそんな時間なのね」
「はい。それと、今夜はドレスを着て来るよう言い付かっております。大事なお客様がおいでになっておりますから」
「え?」

 
突然の言葉に耳を疑った。

「誰の、お客様?」
「そりゃもう、お嬢様のに決まってますわ。コルドお嬢様の婚約者様方ですよ」
「・・・いつ、着いたの?」
「あら、気づかれませんでした? 夕方、日の暮れる直前ぐらいにお越しになられましたけど・・・」
「・・・そう、ありがとう。それじゃあ、着替えて行くわね」
「お手伝いは要りますか?」
「いい。いらないわ。ひとりで出来る」
「それは有難いです。今忙しくて忙しくて・・・」
「そう。ここまで来させてすまなかったわね、もう、準備に戻っていいわよ」
「はい、ありがとうございます。それでは、お言葉に甘えて。・・・失礼します」

 
メイドはパタパタと小走りで戻っていった。
 コルドは自室に行くと、濃い色のタンスから、一着のドレスを取り出した。
 なんの躊躇いもなく、それを着ると決めていた。
 それは、深い黒のドレスだった。まるで、葬列用のように飾り気のないどこか不吉な黒い服だった・・・。

 
・・・かちゃ。
「遅くなってしまい、すみません」
 
広間に入ると、思った通り、人はそれほど多くはなかった。軽く謝罪を口にし、父と『母』の元へと急いだ。
「ああ、やっと来たか。紹介しよう、これがうちの長女のコルドだ。コルド、こちらにご挨拶を」
 
父に肩を抱かれ、有無も言わさずの挨拶である。コルドは艶やかに、自然に笑みを浮かべた。
 黒いドレスを見た『母』の顔が可笑しかったのだ。
 最初から真面目にやる気などもなかった。
「初めまして。コルド・カーネリアと申します。どうぞ、よろしくお願い致します」
 
相手は二人いた。ひとりは主君らしい立派な衣服。隣のやや後ろに下がって立っている背の高い青年は従者といったところか。静かに目を伏せていた。
「こちらこそ。今日はお招きいただき誠にありがとうございます。私はエド・ランツゥイア、と申します」
 
友好的な微笑みを浮かべて手を差し出す仕草が美しい。洗礼された身のこなし。コルドの手に優しく触れると、すぐにその手は離れ、そのまま、流れるような動作で、後ろの男を紹介した。
「そして、これが私の従者の・・・」
「カシス、と申します・・・」
 
すっと一歩前に出たかと思えば、また同じように静かに後ろに下がっていった。
「はは、このように無口な男でしてね。ご無礼お許しいただきたい」
「いえいえ、構いませんとも。このコルドも同じような物ですから・・・」
 
父は一回りも二回りも年の違う青年に愛想よく話かけていた。
「ああ・・・、うちにはもうひとり娘がおりましてね。一応ご挨拶を、と思っておりましたが・・・」
 
はて? どこに行ったんだ? と首を捻る父に、『母』がすぐに来るわと如何にも仲睦まじそうに囁く。
 その様子をエドは目を細めて見ている。どこか、微笑ましそうに、でもその瞳は冷たく小馬鹿にしたように嘲りを含んでいるようにも見えた。
 ほんの小さな違和感。冷え切ったコルドだけが気づく程度の・・・。
 そこにパタパタと音を立てる足音が聞こえてきた。
 途端『母』が満面の笑顔になる。それにつられたのか、父まで笑みを見せる。

「ああ、来たようだ。我が家の姫君が」
「まだ幼い娘なんですの。今が一番可愛いざかりで・・・」
「へぇ、早く紹介していただきたいですね」
 
娘自慢に愛想よく答えるエド。すると・・・。

 
・・・かちゃん。

「・・・あ、お父様、お母様、お姉さま! ・・・あ、あの、そちらが婚約者の方・・・?」
 淡いピンクのドレスを纏ったレイシアが恥ずかしそうに駆け寄る。
「そうだよ、レイシア。こちらがコルドの婚約者になるかもしれないお方だ。ご挨拶しなさい」
「は、はい。あ、あの、初めまして。レイシア・カーネリアと申します。よろしくお願いしますっ・・・!!」
「こちらこそ。私はエド・ランツゥイア。どうぞ、よろしくカーネリア家のお姫さま?」
「まっ・・・!!」
 
レイシアは赤面して俯いた。恥ずかしそうに、でも満更でもなさそうに瞳が潤んでいた。
「はっはっはっ!! さあ、お姫さまは私たちと一緒にあちらへ行こうではないか。今からは若いふたりで・・・」
「でも、お父様、まだお食事が済んでいません」
「おお? ああ、そうでしたな! いや、ありがとうコルド。危うく忘れてしまうところだったよ!」
「まあ。お父様ったらぁ」
「それでは、まず皆で食事でも致しましょうか!」
「ええ、よろしくお願い致します」
「ささ、こちらです。どうぞ」
「ありがとうございます」
 寒い外と厚い石壁で隔てられた室内は、赤々と焚き続けられた暖炉の火に温められた空気と出来立ての料理の湯気がこの夜を歓迎していた。




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